2016年11月25日 (金)

【インターン・ブログ】セミナー「ミャンマーへの投資と環境社会問題」に参加して

初めまして、もぐらです。

現在メコン・ウォッチでインターンシップをしている、大学4年生です。

幼いころから「国際協力がしたい」という夢があり、世界最貧国と呼ばれるラオスに留学したり、そのお隣の国・タイで働いたりする学生生活を送っていました。しかし現地に身を置き、そこで暮らす人達と関わりその生活を目にするうちに、「人は何があって何がなければ幸せなのか?」「貧しさとは?」と考えるようになりました。「そもそも日本人である自分が、他国に協力する意味とは?」と、自身の長年の夢自体にも疑問を呈していた頃、出会ったのがメコン・ウォッチです。

今回は、927日に行われたセミナー「ミャンマーへの投資と環境社会問題ティラワ経済特別区の影響住民を迎えて」に参加し、感じたことを綴りました。

ミャンマー・日本両国が官民あげて進めてきた「ティラワ経済特別区(SEZ)開発事業」の名が新聞に躍り出ることは多々ありますが、メリットが強調されることはあっても、その弊害が取沙汰されることはあまりありません。

私自身が知識不足なこともあり、セミナーでは初めて知ることの連続でした。同時に、この事業に限らない、普遍的な問題のようなものも浮き彫りになったと、私個人的には感じています。

1】人と企業

セミナーでは、ティラワ地区住民と聴講者合わせて40人以上が、一堂に会しました。

私はこの時、ひどい違和感を覚えていました。

なぜなら、ミャンマー側と日本側、向き合っているはずなのに、お互いが違う方向を向いているような、そんな気がしたからです。

「誰かの人生や生きがい、命よりも優先すべきものって、ありますか?」と、道端で出会った人に、聞いてみたとします。

たぶん、「そんなものはない」と、誰もが言うのではないでしょうか。

ではこの質問を、企業にしたとき、どんな答えが返ってくるでしょう。

「その質問は、企業活動にとって本質的ではない」

そんな風に、はぐらかされてしまうと思います。

でも、その企業で働く個人個人に同じ質問をしたら、やっぱり、道端で出会った人と同じ答えを出すでしょう。

すごく不思議だけど、考えてみると当たり前。

人は、自分や周りの人の幸せの為に生きてるのかもしれないけれど、企業は、利益の為に在るから。

このセミナーにあった違和感とは、両者の目指すものが全く違う方向にあるという、ちぐはぐさのことだったのだと思います。

2】何が起きている?

企業は、利益を上げていかなければいけない。

企業は、消費者の欲望に、答え続けなければいけない。

企業は、国は、常に成長していかなければいけない。

そんな「使命」に憑りつかれて、社会に無理を強いているうちに、徐々にいろんなところに歪みが生まれたのだと思います。例えば、今ティラワ地区で起きていることのように。

本当は、どうすれば無理がないか、歪みができないか、考えてから実行に移していくべきです。しっぺ返しは、いつか自分達のところに戻ってくるのだと、理屈では誰もが分かっているのではないでしょうか。

でも、状況はめまぐるしいスピードで動いていて、立ち止まって考えることを許しません。激しい国際競争に負けないよう、常に走り続けなければいけません。

だから、自分達とは関係ない、何処かの誰かを犠牲にして、少しでも時間稼ぎをしながら、どんどん新しいことをするしかありません。

失敗しても、自分達には痛手がないように。見えないように、巧妙に。

仮に、この事業で思うような結果が得られなかったとしても、企業や国にとっては大したことではないでしょう。

「上手くいくか分からないが、やってみよう。失敗したところで、お金と時間が無駄になる、せいぜいそれくらいのことだ」

そんな軽い気持ちでも、始められることなのかもしれません。

でも、住民にとってはそれだけでは済まされません。

企業や国の思いつきに、人や、家族の運命が振り回されている現実があります。

人生を狂わされるのが、自分だったら?家族や、友達だったら?

それでも、この事業を推し進めるでしょうか。

問題が自分の身の回りから離れたとたん、考えることを止めているような気がします。まるで、ゴミをポイ捨てする人みたいに。

3】誰のせい?

実はこの時、もう一つ、違和感を覚えたことがあります。

それは、自分の考えが穴だらけだということです。

自分の考えと現実とを見比べてみた時、大きな矛盾に気が付いてしまいました。

例えば、今回のセミナーに参加した後、「だから今の社会のシステムが嫌いなんだ!」とか「もっと思いやりを持つべきだ!」とか、そんな薄っぺらい言葉を感情的に叫ぶのはとても簡単です。

でも私は、そんなことをしたくありません。そんな権利がないことも、分かっています。

なぜなら、その大嫌いな今の社会のシステムの恩恵に預かって、私は自分の生活を成り立たせているからです。

1年中季節の食べ物を口にし、安価な洋服を使い捨て、流行りの化粧品を惜しみなく使い、スマホのモデルチェンジを待つ。

私達消費者が便利でモノに溢れた生活を求め、企業はそれに応えてきたまでのことです。

企業の活動を一方的に批判することが出来る人は、おそらくどこにもいません。

今のシステムを作り上げ支えてきたのは、紛れもなく、消費者である私達自身です。

物質的に豊かな生活の向こう側にある誰かの涙に知らんふりをして、今の生活を享受し続けてきたのも、私達です。

まず、謙虚に反省すべきは、自分なのだと思いました。

4】どうするべき?

セミナーでは、ある住民が「当事者である民衆が立ち上がる必要がある」と言いました。私にとって、この言葉がとても印象的でした。

変えたいなら、変わるべきなのは、私達。声を上げていくのも、私達です。

私は、とりわけ、若者にその役目があると思います。だって、この社会を作り上げたのは大人達かもしれないけれど、これから生きていくのは、私達若者だから。

大人達が当たり前のように私達に刷り込んできた価値観を、一つ一つ考え直さなければいけない時が来たのだと思います。

「私達の時はこうだった」「これが伝統・常識だ」なんて言う大人はどこにでもいるけれど、従う必要はないと思います。そうやっていつまでも過去を押し付けるような人は、美化された思い出に浸り続けて、自分のやり方の欠点を見認めたくないとか、見たくないものから目を背けたいというだけではないでしょうか。

疑問なんて抱かない方が、楽なのかもしれません。既に確立されてきた考え方や手法に倣うのが、要領のよい生き方かもしれません。

でも、そうやってみんなと同じようにしていったとしても、いざ立ち行かなくなったとき、みんなが助け合える確証はないと思います。

「自分の身近な所にのみ気を付けていれば、自分が生きている間くらいは逃げ切れるだろう」と目論んでいるような今の社会を見る限りだと、ピンチが訪れた途端みんなが団結し合う、なんて都合のいいことは起こらないと思います。

大事なのは、一人一人が自分の意志を持ち、それぞれの立場で声を上げ行動することだと思います。

「知識が無いから分からない。だから意見を言っても、批判されてしまうかもしれない」

そんな恐怖も感じるかもしれません。

でも、この文脈で使われる知識という言葉は、「教科書や先生から習うような、西洋的な、すでに確立された理論や概念」という意味ではないでしょうか。

自分の見聞きしたことや経験、確証のない気持ちや感覚などから生まれる意志や意見にだって、価値はあるはずです。

自分一人だけで何かを変えることは難しいと思います。でも、例えごく少人数だとしても、声を上げ行動に移す人がいるという事それ自体に、大きな意味があると思います。

今回のセミナーの聴講者は、自分と同じくらいの歳の人がほとんどいなかったのが残念でした。もっとこういうところで、自分と同じくらいの歳の人や学生と出会い、話をしたいなと思います。

【イベント】見る・伝える:カンボジアの人々の苦悩と希望〜人権状況の今と女性たちの闘い〜(12/16東京)

1991年のカンボジア和平成立から25年、クメール・ルージュによる虐殺とその後の混乱から立ち直ろうとするカンボジアの人々と協力し、多くの日本人が同国の平和を目指し様々な活動を続けてきました。高い経済成長率、プノンペンの活況から、カンボジアは目覚ましい発展を遂げているように見えます。しかしその裏側では、急激な発展の歪みともいうべき問題が顕在化しています。

残念なことに、今のカンボジアでは、日本政府が協力した法整備、公正な選挙活動が行われるための市民の監視活動、そして、様々な草の根の協力が損なわれかねない暴力的な経済開発、市民社会への弾圧が続いています。

このイベントでは、公正な社会を目指し最前線で闘い続けているカンボジアの女性たちの姿を記録する写真家、高橋智史さんの作品をご自身で解説していただくとともに、カンボジア政治を専門とし、選挙監視を続ける研究者の山田裕史さんから、現在の状況を生み出す背景や日本とカンボジアの関わりについて語っていただきます。その中から、日本の市民としてカンボジアの人々が安心して暮らせる社会を作るために、今どんな協力ができるのかを、参加者のみなさんと考えたいと思います。

 

開催日時:1216日(金)18:30-20:30

■参加費:1000円(共催、協力団体会員、学生500円)

会場:経王寺(住所:東京都新宿区原町1-14

アクセス:都営大江戸線 「牛込柳町」駅下車 東口駅前

東京メトロ東西線 「早稲田」駅下車 馬場下口改札より徒歩15

都営新宿線 「曙橋」駅下車 曙橋口改札より徒歩15

 バス JR新大久保駅前より「新橋」行きにて「牛込柳町」下車

 

話し手:

高橋 智史(フォトジャーナリスト)

日本大学芸術学部写真学科卒。プノンペン在住。2003年からカンボジアの社会問題の取材を開始。13年と14年に2年連続で「国際ジャーナリスト連盟日本賞」大賞受賞。14年「2014年第10回「名取洋之助写真賞」受賞。

山田裕史(カンボジア市民フォーラム事務局長、新潟国際情報大学講師)

上智大学大学院修了。博士(地域研究)。(財)松下国際財団「アジア・スカラシップ」

奨学生としてカンボジアへ留学。国際選挙監視員としてカンボジアで9回、選挙監視

活動に従事。「カンボジアの選挙に関する調査研究で「第7回秋野豊賞」受賞」。

 

プログラム:

18:30 開会の挨拶、プログラム説明

18:40 転換期を迎えたカンボジアの政治・社会情勢(山田裕史)

19:10 質疑応答

19:20 休憩

19:30 屈せざる女性たち(高橋智史)

20:00 質疑応答

20:10 フロアとの意見交換

 

申込みはこちらのフォームからお願いします。

https://ssl.form-mailer.jp/fms/1514e0ef478708

 

共催:アーユス仏教国際ネットワーク、メコン・ウォッチ

 

協力:アジア太平洋資料センター(PARC)、開発教育協会/DEAR(交渉中)、カンボジア市民フォーラム(交渉中)

2016年4月 3日 (日)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第六話 虱まみれのルイあんちゃん

英文ブックレット『人びとの物語』を日本語訳で紹介するコラムです。第六回目は前回同様、ラオス・クム民族のお話から、「虱まみれのルイあんちゃん」を取りあげます。ビエンチャン県にあるナサオナン村のシエンビライ・ウライトンさんからうかがいました。『人びとの物語』42~43頁に掲載してあります。[1]

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虱まみれのルイあんちゃん

むかし、あるところに、ひとりの女が住んでおりました。女には息子がひとりおりましたが、夫のすがたは見えませんでした。息子はたいへんな怠けもので、母親にたよりきったまま日々の生活を送っていました。

そんなある日、女が亡くなりました。息子は天涯孤独になってしまったのです。お金もなく、からだも垢だらけになりました。村人たちはこの息子を、「虱まみれのルイあんちゃん」と呼ぶようになりました。

ルイあんちゃんは、村の嫌われものでした。村人たちに、村から出て、近よらないように言われました。それで、ルイあんちゃんは村の近くに小屋を建て、そこで生活するようになりました。生計手段はもっぱら陸稲(おかぼ)作りです。

村人はだれひとりとしてルイあんちゃんに近づこうとしませんでした。からだじゅう垢だらけで、まさに虱まみれだったからです。みんなから馬鹿にされ、のけ者にされました。村の行事などでも、いつも、ひとりぼっちでご飯を食べていました。

ある時、郡長が村に畑の種まきを命じ、ルイあんちゃんも作業にかりだされました。畑には白アリの巣があちこちにあり、地面はかたく、種をまく穴を掘るにもひと苦労でした。ルイあんちゃんは、白アリの巣がひときわたくさんあるところに種をまくように言われました。このことを知った郡長の娘は、ルイあんちゃんに同情しました。それでルイあんちゃんに手をかそうとも思いましたが、やはり近づくのははばかられ、とおくからようすを見ていました。

白アリの巣があるところに穴を掘るのはたいへんでした。そこで、ルイあんちゃんは巣のまわりに種をまいていましたが、そのうち巣がひとつくずれて、中から金銀の財宝がすがたをあらわしました。なんという幸運でしょう。ルイあんちゃんはさっそく財宝を郡長の娘に見せようと思って、声をかけました。でも、娘は信用してくれません。近づこうとしないのです。ルイあんちゃんは言いました。「ぼくに近づきたくないならいいよ。むこうに行ってるから、ここに来て見てごらん。」

娘がルイあんちゃんの立っていたところに来て見てみると、そこには、金銀の財宝がよこたわっていました。ふたりは、お昼休みも時間にまぎれて、財宝をそっくりルイあんちゃんの小屋に隠してしまいました。

種まきの作業が終わりました。ところが、郡長の娘は自分の家に戻ろうとしません。娘はルイあんちゃんの小屋に泊まることにしたのです。娘が帰ってこないと聞いて、郡長はたいそう驚きました。でも、娘の思いどおりにするしかありませんでした。

郡長の娘はルイあんちゃんの髪を切って、お風呂に入れ、身につけているものもすべて洗濯してやりました。それから二十日間、娘はルイあんちゃんの小屋に泊まり、その後、ようやく郡長のもとに戻りました。

家に戻った娘は、郡長に言いました。「おとうさん、バナナが食べたくなったら、ルイあんちゃんの小屋の屋根にあがって取るといいわよ。」でも、郡長には娘のことばの意味が分からず、はじめは無視していました。

七日目になってようやく、郡長は娘の言うことを無視できなくなり、ルイあんちゃんの小屋に出かけて行きました。そして、椅子を持ってくると、それを踏み台にして屋根にあがりました。そうして下を見ると、金銀の財宝が目にとびこんできたのです。郡長は屋根からおりると椅子をきれいにふいて、なにくわぬ顔で家に戻って行きました。

Kmhmu_jar_of_alcoholこの一件があってからというもの、村人たちはルイあんちゃんの種まきを手伝うようになりました。作業が終わって夕ごはんの時間になると、ルイあんちゃんはみんなにお米でつくった酒「ラオハイ」をふるまいました。村人たちは、ルイあんちゃんの小屋が不潔だと思って、自前のストローを持ちよってきました。ところが、酒樽には純金製のストローがさしてあり、村人たちはおどろくと同時に、恥ずかしい気持ちになりました。それで、持ちよったストローを小屋のそとに捨ててしまいました。

郡長は、娘とルイあんちゃんの結婚をみとめました。ふたりはしあわせに暮らしました。いまでも地面に薪(まき)がころがっていることがありますが、それは村人たちが捨てたラオハイ用のストローのなれのはてなのです。

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賤(いや)しい出自のルイあんちゃんが幸運にめぐまれ、高貴な人の目にふれ、やがてはしあわせな一生をおくれるようになる物語です。ルイあんちゃんは、特別な知恵をもっていたわけでもなく、なにかにいのちを賭したわけでもなく、かといって、突然、生来の怠けぐせをあらためて勤勉になったようでもありません。もし、ルイあんちゃんの側に、幸運を引きつける理由があったとすれば、自らの不幸や村人の扱いに一言たりとも不満をもらすでもなく、金銀財宝に一瞬たりとも目がくらむわけでもなく、たんたんと生きてみせる「純朴さ」ということなのかも知れません。

一方、村人は、ルイあんちゃんを嫌いながらも、完全に放逐はせず、村のはずれに住まわせていました。逆に、行事や作業に参加させながら、けっして交わろうとはしませんでした。それが、最後には、ルイあんちゃんの寛容さに接して、自らの振るまいを恥じることになります。伝統的な村では、出自にしろ、障害にしろ、言動にしろ、さまざまな形で異質な仲間と折りあいをつけながら共同生活をいとなむ必要があったものを思われます。この物語には、そういうリアリティが反映しているように思えます。



[1]『人々の物語』の原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』、メコン・ウォッチ発行、2015年)。以下で閲覧可能 http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf

(こうもり記)

2016年3月28日 (月)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第五話 ジャコウネコ

英文ブックレット『人びとの物語』の内容を日本語訳で紹介するコラムです。第五回目は、ラオス・クム民族のタナリィさんから聞取ったお話で、「ジャコウネコ」。『人びとの物語』3639頁に掲載してあります。[1]

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ジャコウネコ

むかし、あるところに、ポー・ジャ・ランという若者がおりました。ポー・ジャ・ランには心から愛し合う娘がおり、二人は結婚を約束していました。ところが、間の悪いことに、ポー・ジャ・ランは三年の間、兵役に取られることになってしまいました。「戻ったら結婚しよう」と言い残して、ポー・ジャ・ランは村を出てゆきました。

娘は長い間、ポー・ジャ・ランを待ちこがれました。しかし、重い病気にかかって、とうとう死んでしまいました。親戚や村人たちは娘を森の中に埋めることにしました。ところが、不思議なことに、死体が寝台にぴったりとくっついて、運びだせないのです。村人たちは恐れおののきました。それで、死体を動かすかわりに、村ごと引っ越してしまったのです。

Sing_mongblog 三年の兵役を終えたポー・ジャ・ランは村に戻ってきました。村に着くころには日もとっぷりと暮れていましたが、娘の家が見えるや、一目散に駆けてゆきました。家にたどり着いてとびらを開けると、中はまっくらでした。ポー・ジャ・ランは、娘に向かって灯りをともすように言いました。すると、中から声が聞こえました。「ご自分でなさってください。わたしが灯りをともせば、あなたは驚かれることでしょう」。

しかし、ポー・ジャ・ランが気を悪くすると思ったのか、結局、娘が灯りをともしました。そして、二人は、かつてのようにことばを交わしはじめたのです。ところが、ポー・ジャ・ランは、ふいにただならぬ気配を察しました。娘はとうに死んでしまって、幽霊になっているようなのです。ポー・ジャ・ランは逃げだすことにしました。それで、「用をたしてくるから、ここで待っていてくれないか」と娘に言うのですが、娘は離してくれません。ポー・ジャ・ランがなんども頼むものですから、娘はようやくポー・ジャ・ランを離しました。

ポー・ジャ・ランは家から出ると、しらみを一匹つかまえて、となりの家との境に置きました。そして、しらみに向かって言いました。「だれかがぼくの名前を呼んだら、『ここにいるよ』と言っておくれ」。それから、水のいっぱい入ったやかんをさかさまにしました。やかんからは水がこぼれ、用をたしているような音をたてました。

ポー・ジャ・ランは森の中に逃げこみました。しばらくすると、娘がポー・ジャ・ランの名前を呼びはじめました。すると、しらみがこたえました。「ここにいるよ」。ところが、なんど呼んでも同じこたえが返ってきます。おかしいと思った娘が家から出てくると、しらみとやかんが目にはいりました。娘は背中に寝台を背負ったまま、「わたしのポー・ジャ・ラン! わたしのポー・ジャ・ラン!」と叫びながら、ポー・ジャ・ランを探してさまよいはじめました。

ポー・ジャ・ランは森の中を走りつづけて、ひどく疲れていました。それで、すっぱい実をつける木のところで立ちどまると、一匹のジャコウネコがいました。ポー・ジャ・ランはジャコウネコに助けを求めました。ジャコウネコはポー・ジャ・ランに言いました。「着ているものをぜんぶ脱いで、木のほらにかくれるんだ」。そして、ジャコウネコはポー・ジャ・ランの脱ぎすてた服を身につけました。

娘がやってきました。ポー・ジャ・ランの姿を見とめると、とってもうれしそうな顔をして、ポー・ジャ・ランに抱きついて踊りだしました。娘は言いました。「この服はたしかにポー・ジャ・ランのもの。でも、あなたには前足があって、ジャコウネコのような手ざわりだわ」。娘は、「わたしのポー・ジャ・ラン! わたしのポー・ジャ・ラン!」となんどもくり返しました。ジャコウネコはしばらく娘と踊っていましたが、ついに娘の首すじにかみつくと、娘は死んでしまいました。

ポー・ジャ・ランは家族といっしょにジャコウネコにお礼を言いました。ポー・ジャ・ランはジャコウネコを一族の幸運の印(しるし)とし、ジャコウネコを殺めたり食べたりしないで敬うことを誓いました。ポー・ジャ・ランの一族では、ジャコウネコの肉を食べたりすると、歯が抜けおちて、皮膚が焼けただれると信じるようになりました。それから、家を建てるときには、すっぱい実をつける木を柱に使わないことを決めました。倉の中のお米が腐ったり、家族が病気で死んでしまったりといった不幸が起こるからです。

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クム族は、オーストロアジア語族のモン・クメール語に属するクム語を話し、ラオス、タイ、ベトナム、中国・雲南省に住む先住民族です。ラオスには約
61万人が居住し、国内人口の11パーセントを占めています(2005年統計)。伝統的には焼畑農業を主体に、狩猟・漁労・採集によって生活を営んできました。クムの人びとの生活については、第六回目以降でご紹介できると思います。[2]

「ジャコウネコ」は、戦場に出かけた許婚(いいなづけ)を待ちきれずに死んだ娘が霊となって、帰郷した青年を追いかける物語です。本来、悲しくも恐ろしいお話のはずですが、やかんの水で霊をだます場面がこっけいであったり、霊を退治したあとのポー・ジャ・ランが存外あっけらかんとしている様子から、ちぐはぐな印象を受けます。ながく語りつぐ間に、たくさんの語り手がいろんな要素を取りこんでいったのかも知れません。

私は、この物語を読んで、「浅茅が宿」を思いおこしました。「浅茅が宿」は、上田秋成が著し、
1776年(江戸後期)に発刊した『雨月物語』(うげつものがたり)の怪異9篇の一つですが、浅井了意が1666年(江戸前期)に出した『伽婢子』の中の「遊女宮城野」の物語を下敷きにしており、「遊女宮城野」は、さらに中国の瞿佑(くゆう)が14世紀後半(明代)に撰んだ怪異小説集『剪灯新話』(せんとうしんわ)の中の「愛卿伝」にまでさかのぼれるようです。これらの物語と「ジャコウネコ」は、(1)愛する男が女を残して故郷を去る、(2)男が帰郷する前に女が死んでしまう(3)帰郷した男の前に霊魂に化した女が生前の姿で現れる、といった点で一致しています。[3]

この一致は偶然なのでしょうか? 偶然でないとすれば、漢族の物語をクム族が学んだのでしょうか? あくまで可能性ですが、その逆もありえないことではないのかも知れません。つまり、もともとクム族の物語であったものが、明代以前に来訪した漢族の異国趣味を刺激して、後者の記憶・記録に残った可能性です。「ジャコウネコ」のちぐはぐさは、原型により近い物語からにじむ味なのかも知れません。



[1]
『人々の物語』の原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』、メコン・ウォッチ発行、2015年)。以下で閲覧可能 http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf

[2]
『人々の物語』33

[3]
参考資料として、朴煕永(2004)「浅茅が宿」の怪奇の構造と主題 『筑波大学比較・理論文学会文学研究論集』222138頁、楊曦(2012)『伽婢子』に見られる浅井了意の翻案意図~『剪灯新話』との比較を中心として 『第9回国際日本語教育・日本研究シンポジウム予稿集』がある。

イラスト:カンケオ・シマナ

(こうもり記)

2015年11月22日 (日)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第四話 ブランコの起源

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英文ブックレット『人びとの物語』(メコン・ウォッチ発行、
2015年)の内容を日本語訳で紹介するコラムです。第四回目も、北タイ・アカ族のアムイ・チェムイさん(64才)から聞いたお話で、「ブランコの起源」。『人びとの物語』8283ページに掲載してあります[1]。


**********

ブランコの起源

かつて人間の世界には、ブランコというものがありませんでした。では、ブランコはどうやってできたのでしょう?

むかしむかしのことです。川や田んぼに、魚がたくさん住んでいました。そして、村には、お百姓さんが住んでいました。お百姓さんたちは野良仕事に出かけるとき、お米だけを炊いて、おかずは持って行きませんでした。道すがら魚を捕まえて、おかずにしていたのです。

これは、魚たちにとっては死活問題でした。そこで魚たちの代表が二匹、人間の行いをなんとかしてもらおうと神様のところを訪ねました。神様の前で、さっそく二匹の魚は言いました。「神様、なんとかして下さい」。神様はお尋ねになりました。「なんでわしがお前らを助けにゃならんのかな?」 魚たちは訴えました。「人間たちが野良仕事に出かけるとき、わたしたちを捕まえて食べるのです。これには、がまんがなりません。むかしは川や田んぼで、なんの心配もなく遊んでいたのです。そうやって長い間生きてきたのに、このままでは絶滅してしまいます」。

神様のお住まいに間借りしていたスズメが、たまたまこのやり取りを耳にしました。スズメは、「それは、魚が人間に悪さをしたからじゃないか」と言いました。「それで人間が怒ったんだ」。二匹の魚は、「嘘っぱちだ。人間たちが原因だ」と反論しました。神様は、「どうしたもんかな」と、頭を抱えてしまわれました。

悩んだ末に神様は、ブランコを作って人間に与えることにし、「これで遊んでみなさい」とおっしゃいました。人間たちがブランコに乗って力いっぱい揺らすと、とくに雨季が始まるころには、ブランコは地上から遠くはなれて二・三日ももどってきません。魚は神様が人間を懲らしめてくれたのだと考えて、神様の業(わざ)にすっかり満足しました。それで、二匹の魚も家に帰っていったのです。

さて、あるところに、兄妹がいました。兄の名をア・ロン、妹をア・オンと云いました。二人はある日、ちょっと変わった形のブランコを作りました。そのブランコで、高くあがってはすごい速さでおりてきたり、ぐるぐる回ったりして、遊んでいたのです。

そのころ、お日さまとお月さまは、決まった時間に姿を現しませんでした。気分がむいたときに顔を出すのです。四日も五日も現れないかと思うと、突然、姿を見せて、今度は、二日も三日もそのままでいることがありました。人間たちは困っていました。いつ田んぼや畑をたがやしていいか分からなかったからです。いつ季節が変わるかも分かりませんでした。

・ロンとア・オンの兄妹は、このことでたいそう胸を痛めました。それで、お日さまとお月さまに掛けあうことにしたのです。二人は竹の木を切ってブランコを作りました。ブランコに乗って、上へ下へと力いっぱい揺らすと、とうとう空高く舞いあがりました。

ア・ロンはお日さまのところに行って、「お日さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お日さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの熱さのために、ア・ロンは死んでしまいました。

ア・オンはお月さまのところに行って、「お月さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お月さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの寒さのために、ア・オンは死んでしまいました。

それからというもの、お日さまとお月さまは、時間通り姿を見せるようになりました。アカ族が毎年ブランコを作るのは、人間たちのために自らを犠牲にしたア・ロンとア・オン兄妹のことをいつまでも忘れないためです。

**********

ほほえましいお話が、後半では、壮大でうつくしい物語に一変。月日がめぐることに対して、アカ族の人びとが感謝をささげながら暮らしてきたことが分かります。

アカ族の「ブランコ祭り」は有名です。毎年8月から9月にかけて、村で一番高い場所に10メートルもの木を4本組み、その先端から、籐などの繊維を編んだ78メートルのロープを垂らします。これがアカ族のブランコで、民族衣装をまとった女性たちがつかまってロープを揺らします。ブランコを作るには、場所や素材の選定、支柱の立て方などにいろいろと決まりがあり、それというのも、ブランコ祭りは、アカ族にとって、祖先の霊を供養する儀礼だからです[2]。これは「ブランコの起源」の最後のくだりとも符合します。

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アカ族のブランコ[
3

アカ族のブランコには「観覧車タイプ」もあって、ア・ロンとア・オンがはじめに遊んだのはこちらです。一方、二人が空に舞いあがった時のブランコ、そして、神様が人間たちにお与えになったのは、ロープ式のブランコのようです。


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アカ族のブランコ(観覧車タイプ)[4]

また、第三話同様、翻訳を手伝ってくれたアリヤ・ラタナウィチャイクンさんによれば、キリスト教を広める目的で、宣教師たちが、「ブランコの起源」のア・ロンをイエス・キリストに、ア・オンを聖母マリアになぞらえることがあったそうです。似たような事例として、『聖書』の「マタイによる福音書」に登場する「重荷」をアカ族が背負う籠になぞらえることで、伝統的な信仰からキリスト教への改宗をうながしたとの報告もあります[5]。



[1]原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』)。以下で閲覧可能
http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf


[2]三輪隆(
2007)「アカ族のブランコ祭り」(1)(2)『ちゃ~お』5859
http://column.chaocnx.com/?eid=179203

http://column.chaocnx.com/?eid=179206

[3]
TAKASHI MIWA PHOTO GALLERYより転載
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/pictures/akha44.jpg

[4]
thewanderingstraycatより転載
http://www.flickr.com/photos/straycat/4508802986/

[5]コーネリア・アン・カメリア(
1990)「棄てられた籠~北タイ・アカ族キリスト教徒による伝統の再解釈」『東南アジア研究ジャーナル』27号(原題:Kammerer, Cornelia Ann. 1996. Discarding the basket: The reinterpretation of tradition by Akha Christians of Northern Thailand. Journal of Southeast Asian Studies 27, pp. 320-333)、325326ページ。「ヨハネによる福音書」の該当箇所(1128節~30節)は、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。『聖書(口語訳)』http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

(こうもり記)

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