2016年4月 3日 (日)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第六話 虱まみれのルイあんちゃん

英文ブックレット『人びとの物語』を日本語訳で紹介するコラムです。第六回目は前回同様、ラオス・クム民族のお話から、「虱まみれのルイあんちゃん」を取りあげます。ビエンチャン県にあるナサオナン村のシエンビライ・ウライトンさんからうかがいました。『人びとの物語』42~43頁に掲載してあります。[1]

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虱まみれのルイあんちゃん

むかし、あるところに、ひとりの女が住んでおりました。女には息子がひとりおりましたが、夫のすがたは見えませんでした。息子はたいへんな怠けもので、母親にたよりきったまま日々の生活を送っていました。

そんなある日、女が亡くなりました。息子は天涯孤独になってしまったのです。お金もなく、からだも垢だらけになりました。村人たちはこの息子を、「虱まみれのルイあんちゃん」と呼ぶようになりました。

ルイあんちゃんは、村の嫌われものでした。村人たちに、村から出て、近よらないように言われました。それで、ルイあんちゃんは村の近くに小屋を建て、そこで生活するようになりました。生計手段はもっぱら陸稲(おかぼ)作りです。

村人はだれひとりとしてルイあんちゃんに近づこうとしませんでした。からだじゅう垢だらけで、まさに虱まみれだったからです。みんなから馬鹿にされ、のけ者にされました。村の行事などでも、いつも、ひとりぼっちでご飯を食べていました。

ある時、郡長が村に畑の種まきを命じ、ルイあんちゃんも作業にかりだされました。畑には白アリの巣があちこちにあり、地面はかたく、種をまく穴を掘るにもひと苦労でした。ルイあんちゃんは、白アリの巣がひときわたくさんあるところに種をまくように言われました。このことを知った郡長の娘は、ルイあんちゃんに同情しました。それでルイあんちゃんに手をかそうとも思いましたが、やはり近づくのははばかられ、とおくからようすを見ていました。

白アリの巣があるところに穴を掘るのはたいへんでした。そこで、ルイあんちゃんは巣のまわりに種をまいていましたが、そのうち巣がひとつくずれて、中から金銀の財宝がすがたをあらわしました。なんという幸運でしょう。ルイあんちゃんはさっそく財宝を郡長の娘に見せようと思って、声をかけました。でも、娘は信用してくれません。近づこうとしないのです。ルイあんちゃんは言いました。「ぼくに近づきたくないならいいよ。むこうに行ってるから、ここに来て見てごらん。」

娘がルイあんちゃんの立っていたところに来て見てみると、そこには、金銀の財宝がよこたわっていました。ふたりは、お昼休みも時間にまぎれて、財宝をそっくりルイあんちゃんの小屋に隠してしまいました。

種まきの作業が終わりました。ところが、郡長の娘は自分の家に戻ろうとしません。娘はルイあんちゃんの小屋に泊まることにしたのです。娘が帰ってこないと聞いて、郡長はたいそう驚きました。でも、娘の思いどおりにするしかありませんでした。

郡長の娘はルイあんちゃんの髪を切って、お風呂に入れ、身につけているものもすべて洗濯してやりました。それから二十日間、娘はルイあんちゃんの小屋に泊まり、その後、ようやく郡長のもとに戻りました。

家に戻った娘は、郡長に言いました。「おとうさん、バナナが食べたくなったら、ルイあんちゃんの小屋の屋根にあがって取るといいわよ。」でも、郡長には娘のことばの意味が分からず、はじめは無視していました。

七日目になってようやく、郡長は娘の言うことを無視できなくなり、ルイあんちゃんの小屋に出かけて行きました。そして、椅子を持ってくると、それを踏み台にして屋根にあがりました。そうして下を見ると、金銀の財宝が目にとびこんできたのです。郡長は屋根からおりると椅子をきれいにふいて、なにくわぬ顔で家に戻って行きました。

Kmhmu_jar_of_alcoholこの一件があってからというもの、村人たちはルイあんちゃんの種まきを手伝うようになりました。作業が終わって夕ごはんの時間になると、ルイあんちゃんはみんなにお米でつくった酒「ラオハイ」をふるまいました。村人たちは、ルイあんちゃんの小屋が不潔だと思って、自前のストローを持ちよってきました。ところが、酒樽には純金製のストローがさしてあり、村人たちはおどろくと同時に、恥ずかしい気持ちになりました。それで、持ちよったストローを小屋のそとに捨ててしまいました。

郡長は、娘とルイあんちゃんの結婚をみとめました。ふたりはしあわせに暮らしました。いまでも地面に薪(まき)がころがっていることがありますが、それは村人たちが捨てたラオハイ用のストローのなれのはてなのです。

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賤(いや)しい出自のルイあんちゃんが幸運にめぐまれ、高貴な人の目にふれ、やがてはしあわせな一生をおくれるようになる物語です。ルイあんちゃんは、特別な知恵をもっていたわけでもなく、なにかにいのちを賭したわけでもなく、かといって、突然、生来の怠けぐせをあらためて勤勉になったようでもありません。もし、ルイあんちゃんの側に、幸運を引きつける理由があったとすれば、自らの不幸や村人の扱いに一言たりとも不満をもらすでもなく、金銀財宝に一瞬たりとも目がくらむわけでもなく、たんたんと生きてみせる「純朴さ」ということなのかも知れません。

一方、村人は、ルイあんちゃんを嫌いながらも、完全に放逐はせず、村のはずれに住まわせていました。逆に、行事や作業に参加させながら、けっして交わろうとはしませんでした。それが、最後には、ルイあんちゃんの寛容さに接して、自らの振るまいを恥じることになります。伝統的な村では、出自にしろ、障害にしろ、言動にしろ、さまざまな形で異質な仲間と折りあいをつけながら共同生活をいとなむ必要があったものを思われます。この物語には、そういうリアリティが反映しているように思えます。



[1]『人々の物語』の原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』、メコン・ウォッチ発行、2015年)。以下で閲覧可能 http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf

(こうもり記)

2016年3月28日 (月)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第五話 ジャコウネコ

英文ブックレット『人びとの物語』の内容を日本語訳で紹介するコラムです。第五回目は、ラオス・クム民族のタナリィさんから聞取ったお話で、「ジャコウネコ」。『人びとの物語』3639頁に掲載してあります。[1]

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ジャコウネコ

むかし、あるところに、ポー・ジャ・ランという若者がおりました。ポー・ジャ・ランには心から愛し合う娘がおり、二人は結婚を約束していました。ところが、間の悪いことに、ポー・ジャ・ランは三年の間、兵役に取られることになってしまいました。「戻ったら結婚しよう」と言い残して、ポー・ジャ・ランは村を出てゆきました。

娘は長い間、ポー・ジャ・ランを待ちこがれました。しかし、重い病気にかかって、とうとう死んでしまいました。親戚や村人たちは娘を森の中に埋めることにしました。ところが、不思議なことに、死体が寝台にぴったりとくっついて、運びだせないのです。村人たちは恐れおののきました。それで、死体を動かすかわりに、村ごと引っ越してしまったのです。

Sing_mongblog 三年の兵役を終えたポー・ジャ・ランは村に戻ってきました。村に着くころには日もとっぷりと暮れていましたが、娘の家が見えるや、一目散に駆けてゆきました。家にたどり着いてとびらを開けると、中はまっくらでした。ポー・ジャ・ランは、娘に向かって灯りをともすように言いました。すると、中から声が聞こえました。「ご自分でなさってください。わたしが灯りをともせば、あなたは驚かれることでしょう」。

しかし、ポー・ジャ・ランが気を悪くすると思ったのか、結局、娘が灯りをともしました。そして、二人は、かつてのようにことばを交わしはじめたのです。ところが、ポー・ジャ・ランは、ふいにただならぬ気配を察しました。娘はとうに死んでしまって、幽霊になっているようなのです。ポー・ジャ・ランは逃げだすことにしました。それで、「用をたしてくるから、ここで待っていてくれないか」と娘に言うのですが、娘は離してくれません。ポー・ジャ・ランがなんども頼むものですから、娘はようやくポー・ジャ・ランを離しました。

ポー・ジャ・ランは家から出ると、しらみを一匹つかまえて、となりの家との境に置きました。そして、しらみに向かって言いました。「だれかがぼくの名前を呼んだら、『ここにいるよ』と言っておくれ」。それから、水のいっぱい入ったやかんをさかさまにしました。やかんからは水がこぼれ、用をたしているような音をたてました。

ポー・ジャ・ランは森の中に逃げこみました。しばらくすると、娘がポー・ジャ・ランの名前を呼びはじめました。すると、しらみがこたえました。「ここにいるよ」。ところが、なんど呼んでも同じこたえが返ってきます。おかしいと思った娘が家から出てくると、しらみとやかんが目にはいりました。娘は背中に寝台を背負ったまま、「わたしのポー・ジャ・ラン! わたしのポー・ジャ・ラン!」と叫びながら、ポー・ジャ・ランを探してさまよいはじめました。

ポー・ジャ・ランは森の中を走りつづけて、ひどく疲れていました。それで、すっぱい実をつける木のところで立ちどまると、一匹のジャコウネコがいました。ポー・ジャ・ランはジャコウネコに助けを求めました。ジャコウネコはポー・ジャ・ランに言いました。「着ているものをぜんぶ脱いで、木のほらにかくれるんだ」。そして、ジャコウネコはポー・ジャ・ランの脱ぎすてた服を身につけました。

娘がやってきました。ポー・ジャ・ランの姿を見とめると、とってもうれしそうな顔をして、ポー・ジャ・ランに抱きついて踊りだしました。娘は言いました。「この服はたしかにポー・ジャ・ランのもの。でも、あなたには前足があって、ジャコウネコのような手ざわりだわ」。娘は、「わたしのポー・ジャ・ラン! わたしのポー・ジャ・ラン!」となんどもくり返しました。ジャコウネコはしばらく娘と踊っていましたが、ついに娘の首すじにかみつくと、娘は死んでしまいました。

ポー・ジャ・ランは家族といっしょにジャコウネコにお礼を言いました。ポー・ジャ・ランはジャコウネコを一族の幸運の印(しるし)とし、ジャコウネコを殺めたり食べたりしないで敬うことを誓いました。ポー・ジャ・ランの一族では、ジャコウネコの肉を食べたりすると、歯が抜けおちて、皮膚が焼けただれると信じるようになりました。それから、家を建てるときには、すっぱい実をつける木を柱に使わないことを決めました。倉の中のお米が腐ったり、家族が病気で死んでしまったりといった不幸が起こるからです。

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クム族は、オーストロアジア語族のモン・クメール語に属するクム語を話し、ラオス、タイ、ベトナム、中国・雲南省に住む先住民族です。ラオスには約
61万人が居住し、国内人口の11パーセントを占めています(2005年統計)。伝統的には焼畑農業を主体に、狩猟・漁労・採集によって生活を営んできました。クムの人びとの生活については、第六回目以降でご紹介できると思います。[2]

「ジャコウネコ」は、戦場に出かけた許婚(いいなづけ)を待ちきれずに死んだ娘が霊となって、帰郷した青年を追いかける物語です。本来、悲しくも恐ろしいお話のはずですが、やかんの水で霊をだます場面がこっけいであったり、霊を退治したあとのポー・ジャ・ランが存外あっけらかんとしている様子から、ちぐはぐな印象を受けます。ながく語りつぐ間に、たくさんの語り手がいろんな要素を取りこんでいったのかも知れません。

私は、この物語を読んで、「浅茅が宿」を思いおこしました。「浅茅が宿」は、上田秋成が著し、
1776年(江戸後期)に発刊した『雨月物語』(うげつものがたり)の怪異9篇の一つですが、浅井了意が1666年(江戸前期)に出した『伽婢子』の中の「遊女宮城野」の物語を下敷きにしており、「遊女宮城野」は、さらに中国の瞿佑(くゆう)が14世紀後半(明代)に撰んだ怪異小説集『剪灯新話』(せんとうしんわ)の中の「愛卿伝」にまでさかのぼれるようです。これらの物語と「ジャコウネコ」は、(1)愛する男が女を残して故郷を去る、(2)男が帰郷する前に女が死んでしまう(3)帰郷した男の前に霊魂に化した女が生前の姿で現れる、といった点で一致しています。[3]

この一致は偶然なのでしょうか? 偶然でないとすれば、漢族の物語をクム族が学んだのでしょうか? あくまで可能性ですが、その逆もありえないことではないのかも知れません。つまり、もともとクム族の物語であったものが、明代以前に来訪した漢族の異国趣味を刺激して、後者の記憶・記録に残った可能性です。「ジャコウネコ」のちぐはぐさは、原型により近い物語からにじむ味なのかも知れません。



[1]
『人々の物語』の原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』、メコン・ウォッチ発行、2015年)。以下で閲覧可能 http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf

[2]
『人々の物語』33

[3]
参考資料として、朴煕永(2004)「浅茅が宿」の怪奇の構造と主題 『筑波大学比較・理論文学会文学研究論集』222138頁、楊曦(2012)『伽婢子』に見られる浅井了意の翻案意図~『剪灯新話』との比較を中心として 『第9回国際日本語教育・日本研究シンポジウム予稿集』がある。

イラスト:カンケオ・シマナ

(こうもり記)

2015年11月22日 (日)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第四話 ブランコの起源

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英文ブックレット『人びとの物語』(メコン・ウォッチ発行、
2015年)の内容を日本語訳で紹介するコラムです。第四回目も、北タイ・アカ族のアムイ・チェムイさん(64才)から聞いたお話で、「ブランコの起源」。『人びとの物語』8283ページに掲載してあります[1]。


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ブランコの起源

かつて人間の世界には、ブランコというものがありませんでした。では、ブランコはどうやってできたのでしょう?

むかしむかしのことです。川や田んぼに、魚がたくさん住んでいました。そして、村には、お百姓さんが住んでいました。お百姓さんたちは野良仕事に出かけるとき、お米だけを炊いて、おかずは持って行きませんでした。道すがら魚を捕まえて、おかずにしていたのです。

これは、魚たちにとっては死活問題でした。そこで魚たちの代表が二匹、人間の行いをなんとかしてもらおうと神様のところを訪ねました。神様の前で、さっそく二匹の魚は言いました。「神様、なんとかして下さい」。神様はお尋ねになりました。「なんでわしがお前らを助けにゃならんのかな?」 魚たちは訴えました。「人間たちが野良仕事に出かけるとき、わたしたちを捕まえて食べるのです。これには、がまんがなりません。むかしは川や田んぼで、なんの心配もなく遊んでいたのです。そうやって長い間生きてきたのに、このままでは絶滅してしまいます」。

神様のお住まいに間借りしていたスズメが、たまたまこのやり取りを耳にしました。スズメは、「それは、魚が人間に悪さをしたからじゃないか」と言いました。「それで人間が怒ったんだ」。二匹の魚は、「嘘っぱちだ。人間たちが原因だ」と反論しました。神様は、「どうしたもんかな」と、頭を抱えてしまわれました。

悩んだ末に神様は、ブランコを作って人間に与えることにし、「これで遊んでみなさい」とおっしゃいました。人間たちがブランコに乗って力いっぱい揺らすと、とくに雨季が始まるころには、ブランコは地上から遠くはなれて二・三日ももどってきません。魚は神様が人間を懲らしめてくれたのだと考えて、神様の業(わざ)にすっかり満足しました。それで、二匹の魚も家に帰っていったのです。

さて、あるところに、兄妹がいました。兄の名をア・ロン、妹をア・オンと云いました。二人はある日、ちょっと変わった形のブランコを作りました。そのブランコで、高くあがってはすごい速さでおりてきたり、ぐるぐる回ったりして、遊んでいたのです。

そのころ、お日さまとお月さまは、決まった時間に姿を現しませんでした。気分がむいたときに顔を出すのです。四日も五日も現れないかと思うと、突然、姿を見せて、今度は、二日も三日もそのままでいることがありました。人間たちは困っていました。いつ田んぼや畑をたがやしていいか分からなかったからです。いつ季節が変わるかも分かりませんでした。

・ロンとア・オンの兄妹は、このことでたいそう胸を痛めました。それで、お日さまとお月さまに掛けあうことにしたのです。二人は竹の木を切ってブランコを作りました。ブランコに乗って、上へ下へと力いっぱい揺らすと、とうとう空高く舞いあがりました。

ア・ロンはお日さまのところに行って、「お日さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お日さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの熱さのために、ア・ロンは死んでしまいました。

ア・オンはお月さまのところに行って、「お月さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お月さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの寒さのために、ア・オンは死んでしまいました。

それからというもの、お日さまとお月さまは、時間通り姿を見せるようになりました。アカ族が毎年ブランコを作るのは、人間たちのために自らを犠牲にしたア・ロンとア・オン兄妹のことをいつまでも忘れないためです。

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ほほえましいお話が、後半では、壮大でうつくしい物語に一変。月日がめぐることに対して、アカ族の人びとが感謝をささげながら暮らしてきたことが分かります。

アカ族の「ブランコ祭り」は有名です。毎年8月から9月にかけて、村で一番高い場所に10メートルもの木を4本組み、その先端から、籐などの繊維を編んだ78メートルのロープを垂らします。これがアカ族のブランコで、民族衣装をまとった女性たちがつかまってロープを揺らします。ブランコを作るには、場所や素材の選定、支柱の立て方などにいろいろと決まりがあり、それというのも、ブランコ祭りは、アカ族にとって、祖先の霊を供養する儀礼だからです[2]。これは「ブランコの起源」の最後のくだりとも符合します。

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アカ族のブランコ[
3

アカ族のブランコには「観覧車タイプ」もあって、ア・ロンとア・オンがはじめに遊んだのはこちらです。一方、二人が空に舞いあがった時のブランコ、そして、神様が人間たちにお与えになったのは、ロープ式のブランコのようです。


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アカ族のブランコ(観覧車タイプ)[4]

また、第三話同様、翻訳を手伝ってくれたアリヤ・ラタナウィチャイクンさんによれば、キリスト教を広める目的で、宣教師たちが、「ブランコの起源」のア・ロンをイエス・キリストに、ア・オンを聖母マリアになぞらえることがあったそうです。似たような事例として、『聖書』の「マタイによる福音書」に登場する「重荷」をアカ族が背負う籠になぞらえることで、伝統的な信仰からキリスト教への改宗をうながしたとの報告もあります[5]。



[1]原題は、Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』)。以下で閲覧可能
http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf


[2]三輪隆(
2007)「アカ族のブランコ祭り」(1)(2)『ちゃ~お』5859
http://column.chaocnx.com/?eid=179203

http://column.chaocnx.com/?eid=179206

[3]
TAKASHI MIWA PHOTO GALLERYより転載
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/pictures/akha44.jpg

[4]
thewanderingstraycatより転載
http://www.flickr.com/photos/straycat/4508802986/

[5]コーネリア・アン・カメリア(
1990)「棄てられた籠~北タイ・アカ族キリスト教徒による伝統の再解釈」『東南アジア研究ジャーナル』27号(原題:Kammerer, Cornelia Ann. 1996. Discarding the basket: The reinterpretation of tradition by Akha Christians of Northern Thailand. Journal of Southeast Asian Studies 27, pp. 320-333)、325326ページ。「ヨハネによる福音書」の該当箇所(1128節~30節)は、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。『聖書(口語訳)』http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

(こうもり記)

2015年11月 7日 (土)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第三話 ネコはどこからやって来たか?

日本語訳を求める声にこたえて、英文ブックレット『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』(原題:Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand、以下、『人びとの物語』と略称)に掲載した物語を、仮訳とコメントで紹介するコラムです。第三回目も、北タイ・アカ族のアムイ・チェムイさん(64才)から聞いたお話で、「ネコはどこからやって来たか?」。『人びとの物語』7879ページに掲載してあります(注1)。

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ネコはどこからやって来たか?

むかしむかし、神様は、この世のあらゆるものをお造りになり、そこには、山や川に住む、いろいろな種類の動物たちも含まれていました。ところが、神様はネコを造ることをお忘れになっていました。この世は、そこら中がほこりだらけで、ネズミたちがはばをきかせ、人間たちは困っていました。ネズミが野菜を食べつくし、収穫することができなかったからです。ネズミたちはいろんなものをだめにしてしまいました。

ある日、人間たちは、神様に相談して、この問題を解決していただこうと思いたちました。それで、神様をお訪ねして、こう言いました。「神様」。

神様がお答えになりました。「なんじゃな?」 人間たちはつづけました。「これでは生活が成りたちません」。神様はお尋ねになりました。「どうしたのじゃ? なにかあったのかな?」 人間たちは訴えました。「ネズミが多すぎるんです。野菜もなにもかもだいなしにしてしまって。ネズミを追い払うのに、ネコがほしいんです」。

神様はしばらくお考えになり、ご自分の腕をこすって取った垢を三本の竹の筒の入れものにお入れになりました。そして、それを人間たちにわたして、こうおっしゃいました。「よいか。家に帰りつくまで中を見てはいかんぞ」。

家に帰る途中、人間たちは話し合いました。「神様はなにを下さったんだろう?」 人間たちは竹の筒に入っているものが見たくて、見たくて、たまらなくなりました。もうこれ以上がまんできなくなって、一本の竹の筒のふたを開けて中をのぞきました。すると、なにかがとびだして、目にもとまらぬ速さで走り去って行きました。人間たちは竹の筒の口をふさぎましたが、もう手おくれでした。

しばらく行くと、人間たちは、また、竹の筒に入っているものが見たくて、見たくて、たまらなくなりました。がまんできなくなって、もう一本の竹の筒のふたを開けて中をのぞきました。すると、また、なにかがとびだして、すごい速さで走り去って行きました。人間たちは言いました。「最後の竹の筒を開けるとやばいことになるぞ。家に着く前に開けたら、ネコが手に入らなくなる」。

人間たちは、残った竹の筒を開けることなく、なんとか家にたどり着きました。それで、竹の筒の中をのぞいてみると、ネコが入っていたのです。

こうして神様はご自分の垢でネコをお造りになって、人間たちに下さったのです。それからというもの、ネコは人間たちと生活をともにしています。


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真剣に訴える人間たちと、どことなくぞんざいで、垢をこすり取ってネコを造ってやる神様との対比がおかしくて、『人びとの物語』に収録しました。

この物語は、慣習や地名、生きものの習性などの始まりを説明する「起源譚」のひとつです。また、人間たちが二度失敗したのち、三度目に成功するところは、民話や昔話などでおなじみの「試練の経験」です。つまり、形態としては、物語らしい物語です。

しかし、一方でオチが弱く、全体として、強く印象に残る物語ではありません(私でも、せめて「人間たちは筒の中の生きものに逃げられないように、小さな穴を開けて、お酒を流し込み、眠らせてしまいました。さて、ネコは期待通りネズミを追い払ってくれたのですが、お酒に酔っぱらってしまって以来、ネズミを追いかけない時は一日中でも眠っているようになりました」くらいのオチは付けると思います)。

ただ、有名な柳田國男の『遠野物語』などを読んでみても、民話や昔話がすべて桃太郎やかぐや姫のように完成度の高いものではありません(注2)。むしろ、どこか中途半端で物足りなく、しかしながら、なんどもくりかえし聞いたり読んだりしているうちに味わいが出てくる、それが人びとの物語の本来の姿ではないかと思えてきます。「ネコはどこからやって来たか?」も、原型はもっともっと単純なお話だったのかも知れません。

さて、ここでアカ族についても少し紹介しておきましょう。アカ族は、シナ・チベット語族に属するアカ語を話す民族で、ビルマ/ミャンマーに
20万人、中国・雲南省に24万人居住するほか、ラオス、ベトナム、タイでも暮らしを営んでいます。北タイに住むアカ族は、ビルマでの戦乱や経済的困窮を逃れてきた場合が多く、チェンライ県などに56,600人ほど居住していると云われています。キリスト教徒が多く、アカ語を日常語として使っています(注3)。『人びとの物語』に収めた四つの物語も、まずアカ語で録音し、その後、タイ語や英語に翻訳しました。

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(中国・ビルマ・ラオス・タイにまたがるアカ族の居住地=赤枠内)(注4)



1)『人びとの物語』は、以下のサイトで閲覧可能http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf
「ネコはどこからやって来たか?」を採録するにあたっては、同じアカ族のアリヤ・ラタナウィチャイクンさんの協力も得ました。


2)柳田國男(1976)『遠野物語・山の人生』岩波文庫

3)『人びとの物語』67ページの解説より。

4)地図は、Akha Heritage Foundationのサイトより。

(こうもり記)

2015年8月18日 (火)

【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第二回 新天地を求めて 

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(アカ族の村より眼下に北タイの山なみを望む)

日本語訳を求める声にこたえて、英文ブックレット『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』(原題:
Plants, animals, salt and spirits: How people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and Thailand、以下、『人びとの物語』と略称)に掲載した物語を、仮訳とコメントで紹介するコラムです。


第二回目も、北タイ・アカ族から聞いたお話、「新天地を求めて」。第一回目の「モフとモニ」の続きです。語り手も、同じアムイ・チェムイさん。『人びとの物語』7475ページに掲載してあります(注1)。

モフとモニの兄弟は、行方不明になった父親を捜しに旅に出ます。兄のモフは金の船を漕いで川上へ、一方、弟のモニは銀の船を漕いで川下に向かいます。モニは旅先で、人喰い巨人の一家を退治して村人を救い、さらには、亡くなったお姫さまを生きかえらせて、王様からたいへん感謝されます。王様は、お礼に、金銀財宝をわたそうとするのですが、モニは、神様のお告げにしたがってこの申し出を断り、代わりに一羽のおんどりを授かります。そして、「このおんどりが鳴くところが、神様のご意志にかなう場所。そこに、ぼくは住みかを築きます」と宣言して、旅を続けます(注2)。

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新天地を求めて

モニは、水の豊かな、景色の美しい土地にたどり着きました。びんろうじゅの木が生い茂り、けものたちの鳴き声がそこいら中から聞こえました。まるで「今すぐ、ここにお住みなさい」と言わんばかりのところでした。モニは、「こんなところに住みかを築きたいなぁ」と、心のそこから思いました。それで、おんどりが鳴いてくれるだろうと思って、かたわらの木の枝に乗せてやりました。ところが、おんどりはうんともすんとも言いません。

モニは、ひとりごちました。「ここに住みかを築くのは、神様のご意思ではないようだ」。そして、さらに旅を続けました。それから七日と七晩、歩き続けたため、モニはすっかり疲れてしまいました。そこで、道ばたに腰をおろして休むことにしました。あたりを見まわすと、小さな石や大きな岩がごろごろしていて、目の前には、岩だらけで険しい山がそびえています。畑になるようなところにも見あたりません。ところが、ここで、おんどりが鳴きだしたのです。

モニは、ふたたび、ひとりごちました。「ここが神様のご意思にかなう場所なんだ」。そして、そこにとどまることにしました。すると、おんどりは、また鳴きだしました。「ココケッコー、すくわなくても水が飲める。植えなくてもお米がとれる。ココケッコー」。おんどりはさらに三度鳴いてから、こう告げました。「険しい山は平地に。すべてはモニの望むままに」。

おんどりのお告げが止むと、険しい山は平地になりました。モニがまじないを唱えると、金銀財宝が必要なだけ手に入りました。

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「新天地を求めて」は、環境や資源に恵まれているだけでなく、なにかが加味されないと人の住みかとして適切ではない、という考え方を伝える物語として『人びとの物語』に収録しました。

アカ族は、他の民族と比べて、さまざまな戒律を大切にするようです(注3)。村を建設するにあたっても、土地の選定や建造物の配置にまつわる細かな決まりがあって、アカ族の長老は、そうした知識をきちんと暗記して、次の世代に伝える役割を担っています。

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(アカ族の納豆「アチュジュム」。発酵させた大豆に、レモングラス、しょうが、塩、とうがらしなどを混ぜて食べる)

この物語で「なにか」を告げるのはおんどりですが、「鳥が人間になにかを告げる」というのは、民話でよく遭遇する場面のように思えます。第四話として予定している「ブランコの起源」でも、すずめが神様に告げ口をする場面がありますし、前回の「モフとモニ」で兄弟が鳥の親子の姿を見て改心した場面は、一種の派生形と考えられなくもありません。

鳥は空を飛ぶことで、人智のおよばぬ世界と人間界とを行き来できそうでもありますし、渡り鳥は、季節の到来をいち早く人間に告げてくれているようでもあります。また、一年三百六十五日、毎日、朝に夕に鳴きたてることから、よほど何かを告げようとしているのだと、私たちの祖先が考えたとしても不思議ではありません。

柳田国男にも、「このごろの野鳥は人さえ見ればびくびくするが、以前は相対して朝から晩まで、同じ文句と挙動を繰り返したので、小さな児はもとより、年取った人々の想像にも、何かよくよく言わずにはいられぬ身の上話があるかのように、奇異なる印象を与えたのである。鳥の言葉に実は深い意味とかしこい智恵があるのだということは、聴耳頭巾(ききみみずきん)や童子丸の昔話、さては瓜子姫カチカチ山などにも既に説かれている」という指摘があります(注4)。



1)『人びとの物語』は、以下のサイトで閲覧可能。 http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf

2)『アカ族民話集』(ピチャイ・ビヤンレー訳、発行年不明、アカ農業・教育開発プロジェクト発行、
143ページ)では、モフとモニの物語を十七話に分けてタイ語で紹介している。


3)コーネリア・アン・カメリア(1990)「棄てられた籠~北タイ・アカ族キリスト教徒による伝統の再解釈」『東南アジア研究ジャーナル』27号(原題:Kammerer, Cornelia Ann. 1996. Discarding the basket: The reinterpretation of tradition by Akha Christians of Northern Thailand. Journal of Southeast Asian Studies 27, pp. 320-333)、325326ページ

)柳田國男(1976)『口承文芸史考』講談社学術文庫、155156ページ

(こうもり記)

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