【コラム】 人びとの物語で読むメコン~第四話 ブランコの起源
英文ブックレット『人びとの物語』(メコン・ウォッチ発行、2015年)の内容を日本語訳で紹介するコラムです。第四回目も、北タイ・アカ族のアムイ・チェムイさん(64才)から聞いたお話で、「ブランコの起源」。『人びとの物語』82~83ページに掲載してあります[1]。
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ブランコの起源
かつて人間の世界には、ブランコというものがありませんでした。では、ブランコはどうやってできたのでしょう?
むかしむかしのことです。川や田んぼに、魚がたくさん住んでいました。そして、村には、お百姓さんが住んでいました。お百姓さんたちは野良仕事に出かけるとき、お米だけを炊いて、おかずは持って行きませんでした。道すがら魚を捕まえて、おかずにしていたのです。
これは、魚たちにとっては死活問題でした。そこで魚たちの代表が二匹、人間の行いをなんとかしてもらおうと神様のところを訪ねました。神様の前で、さっそく二匹の魚は言いました。「神様、なんとかして下さい」。神様はお尋ねになりました。「なんでわしがお前らを助けにゃならんのかな?」 魚たちは訴えました。「人間たちが野良仕事に出かけるとき、わたしたちを捕まえて食べるのです。これには、がまんがなりません。むかしは川や田んぼで、なんの心配もなく遊んでいたのです。そうやって長い間生きてきたのに、このままでは絶滅してしまいます」。
神様のお住まいに間借りしていたスズメが、たまたまこのやり取りを耳にしました。スズメは、「それは、魚が人間に悪さをしたからじゃないか」と言いました。「それで人間が怒ったんだ」。二匹の魚は、「嘘っぱちだ。人間たちが原因だ」と反論しました。神様は、「どうしたもんかな」と、頭を抱えてしまわれました。
悩んだ末に神様は、ブランコを作って人間に与えることにし、「これで遊んでみなさい」とおっしゃいました。人間たちがブランコに乗って力いっぱい揺らすと、とくに雨季が始まるころには、ブランコは地上から遠くはなれて二・三日ももどってきません。魚は神様が人間を懲らしめてくれたのだと考えて、神様の業(わざ)にすっかり満足しました。それで、二匹の魚も家に帰っていったのです。
さて、あるところに、兄妹がいました。兄の名をア・ロン、妹をア・オンと云いました。二人はある日、ちょっと変わった形のブランコを作りました。そのブランコで、高くあがってはすごい速さでおりてきたり、ぐるぐる回ったりして、遊んでいたのです。
そのころ、お日さまとお月さまは、決まった時間に姿を現しませんでした。気分がむいたときに顔を出すのです。四日も五日も現れないかと思うと、突然、姿を見せて、今度は、二日も三日もそのままでいることがありました。人間たちは困っていました。いつ田んぼや畑をたがやしていいか分からなかったからです。いつ季節が変わるかも分かりませんでした。
ア・ロンとア・オンの兄妹は、このことでたいそう胸を痛めました。それで、お日さまとお月さまに掛けあうことにしたのです。二人は竹の木を切ってブランコを作りました。ブランコに乗って、上へ下へと力いっぱい揺らすと、とうとう空高く舞いあがりました。
ア・ロンはお日さまのところに行って、「お日さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お日さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの熱さのために、ア・ロンは死んでしまいました。
ア・オンはお月さまのところに行って、「お月さま、どうか時間通りに姿を見せてください」と頼みました。お月さまは「分かった」と言ってくれました。でも、あまりの寒さのために、ア・オンは死んでしまいました。
それからというもの、お日さまとお月さまは、時間通り姿を見せるようになりました。アカ族が毎年ブランコを作るのは、人間たちのために自らを犠牲にしたア・ロンとア・オン兄妹のことをいつまでも忘れないためです。
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ほほえましいお話が、後半では、壮大でうつくしい物語に一変。月日がめぐることに対して、アカ族の人びとが感謝をささげながら暮らしてきたことが分かります。
アカ族の「ブランコ祭り」は有名です。毎年8月から9月にかけて、村で一番高い場所に10メートルもの木を4本組み、その先端から、籐などの繊維を編んだ7~8メートルのロープを垂らします。これがアカ族のブランコで、民族衣装をまとった女性たちがつかまってロープを揺らします。ブランコを作るには、場所や素材の選定、支柱の立て方などにいろいろと決まりがあり、それというのも、ブランコ祭りは、アカ族にとって、祖先の霊を供養する儀礼だからです[2]。これは「ブランコの起源」の最後のくだりとも符合します。
アカ族のブランコ[3]
アカ族のブランコには「観覧車タイプ」もあって、ア・ロンとア・オンがはじめに遊んだのはこちらです。一方、二人が空に舞いあがった時のブランコ、そして、神様が人間たちにお与えになったのは、ロープ式のブランコのようです。
アカ族のブランコ(観覧車タイプ)[4]
また、第三話同様、翻訳を手伝ってくれたアリヤ・ラタナウィチャイクンさんによれば、キリスト教を広める目的で、宣教師たちが、「ブランコの起源」のア・ロンをイエス・キリストに、ア・オンを聖母マリアになぞらえることがあったそうです。似たような事例として、『聖書』の「マタイによる福音書」に登場する「重荷」をアカ族が背負う籠になぞらえることで、伝統的な信仰からキリスト教への改宗をうながしたとの報告もあります[5]。
注
[1]原題は、Plants, animals, salt and spirits: How
people live with and talk about the environment in rural Cambodia, Laos and
Thailand(『木々と獣と塩と精霊~タイ・ラオス・カンボジアの農村の環境と人びとの暮らし』)。以下で閲覧可能
http://www.mekongwatch.org/PDF/Booklet_PeopleStory.pdf
[2]三輪隆(2007)「アカ族のブランコ祭り」(1)(2)『ちゃ~お』58・59号
http://column.chaocnx.com/?eid=179203
http://column.chaocnx.com/?eid=179206
[3]TAKASHI MIWA PHOTO GALLERYより転載
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1850/pictures/akha44.jpg
[4]thewanderingstraycatより転載
http://www.flickr.com/photos/straycat/4508802986/
[5]コーネリア・アン・カメリア(1990)「棄てられた籠~北タイ・アカ族キリスト教徒による伝統の再解釈」『東南アジア研究ジャーナル』27号(原題:Kammerer, Cornelia Ann. 1996. Discarding
the basket: The reinterpretation of tradition by Akha Christians of Northern
Thailand. Journal of Southeast Asian Studies 27, pp. 320-333)、325~326ページ。「ヨハネによる福音書」の該当箇所(11章28節~30節)は、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。『聖書(口語訳)』http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html
(こうもり記)
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