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2016年11月25日 (金)

【インターン・ブログ】セミナー「ミャンマーへの投資と環境社会問題」に参加して

初めまして、もぐらです。

現在メコン・ウォッチでインターンシップをしている、大学4年生です。

幼いころから「国際協力がしたい」という夢があり、世界最貧国と呼ばれるラオスに留学したり、そのお隣の国・タイで働いたりする学生生活を送っていました。しかし現地に身を置き、そこで暮らす人達と関わりその生活を目にするうちに、「人は何があって何がなければ幸せなのか?」「貧しさとは?」と考えるようになりました。「そもそも日本人である自分が、他国に協力する意味とは?」と、自身の長年の夢自体にも疑問を呈していた頃、出会ったのがメコン・ウォッチです。

今回は、927日に行われたセミナー「ミャンマーへの投資と環境社会問題ティラワ経済特別区の影響住民を迎えて」に参加し、感じたことを綴りました。

ミャンマー・日本両国が官民あげて進めてきた「ティラワ経済特別区(SEZ)開発事業」の名が新聞に躍り出ることは多々ありますが、メリットが強調されることはあっても、その弊害が取沙汰されることはあまりありません。

私自身が知識不足なこともあり、セミナーでは初めて知ることの連続でした。同時に、この事業に限らない、普遍的な問題のようなものも浮き彫りになったと、私個人的には感じています。

1】人と企業

セミナーでは、ティラワ地区住民と聴講者合わせて40人以上が、一堂に会しました。

私はこの時、ひどい違和感を覚えていました。

なぜなら、ミャンマー側と日本側、向き合っているはずなのに、お互いが違う方向を向いているような、そんな気がしたからです。

「誰かの人生や生きがい、命よりも優先すべきものって、ありますか?」と、道端で出会った人に、聞いてみたとします。

たぶん、「そんなものはない」と、誰もが言うのではないでしょうか。

ではこの質問を、企業にしたとき、どんな答えが返ってくるでしょう。

「その質問は、企業活動にとって本質的ではない」

そんな風に、はぐらかされてしまうと思います。

でも、その企業で働く個人個人に同じ質問をしたら、やっぱり、道端で出会った人と同じ答えを出すでしょう。

すごく不思議だけど、考えてみると当たり前。

人は、自分や周りの人の幸せの為に生きてるのかもしれないけれど、企業は、利益の為に在るから。

このセミナーにあった違和感とは、両者の目指すものが全く違う方向にあるという、ちぐはぐさのことだったのだと思います。

2】何が起きている?

企業は、利益を上げていかなければいけない。

企業は、消費者の欲望に、答え続けなければいけない。

企業は、国は、常に成長していかなければいけない。

そんな「使命」に憑りつかれて、社会に無理を強いているうちに、徐々にいろんなところに歪みが生まれたのだと思います。例えば、今ティラワ地区で起きていることのように。

本当は、どうすれば無理がないか、歪みができないか、考えてから実行に移していくべきです。しっぺ返しは、いつか自分達のところに戻ってくるのだと、理屈では誰もが分かっているのではないでしょうか。

でも、状況はめまぐるしいスピードで動いていて、立ち止まって考えることを許しません。激しい国際競争に負けないよう、常に走り続けなければいけません。

だから、自分達とは関係ない、何処かの誰かを犠牲にして、少しでも時間稼ぎをしながら、どんどん新しいことをするしかありません。

失敗しても、自分達には痛手がないように。見えないように、巧妙に。

仮に、この事業で思うような結果が得られなかったとしても、企業や国にとっては大したことではないでしょう。

「上手くいくか分からないが、やってみよう。失敗したところで、お金と時間が無駄になる、せいぜいそれくらいのことだ」

そんな軽い気持ちでも、始められることなのかもしれません。

でも、住民にとってはそれだけでは済まされません。

企業や国の思いつきに、人や、家族の運命が振り回されている現実があります。

人生を狂わされるのが、自分だったら?家族や、友達だったら?

それでも、この事業を推し進めるでしょうか。

問題が自分の身の回りから離れたとたん、考えることを止めているような気がします。まるで、ゴミをポイ捨てする人みたいに。

3】誰のせい?

実はこの時、もう一つ、違和感を覚えたことがあります。

それは、自分の考えが穴だらけだということです。

自分の考えと現実とを見比べてみた時、大きな矛盾に気が付いてしまいました。

例えば、今回のセミナーに参加した後、「だから今の社会のシステムが嫌いなんだ!」とか「もっと思いやりを持つべきだ!」とか、そんな薄っぺらい言葉を感情的に叫ぶのはとても簡単です。

でも私は、そんなことをしたくありません。そんな権利がないことも、分かっています。

なぜなら、その大嫌いな今の社会のシステムの恩恵に預かって、私は自分の生活を成り立たせているからです。

1年中季節の食べ物を口にし、安価な洋服を使い捨て、流行りの化粧品を惜しみなく使い、スマホのモデルチェンジを待つ。

私達消費者が便利でモノに溢れた生活を求め、企業はそれに応えてきたまでのことです。

企業の活動を一方的に批判することが出来る人は、おそらくどこにもいません。

今のシステムを作り上げ支えてきたのは、紛れもなく、消費者である私達自身です。

物質的に豊かな生活の向こう側にある誰かの涙に知らんふりをして、今の生活を享受し続けてきたのも、私達です。

まず、謙虚に反省すべきは、自分なのだと思いました。

4】どうするべき?

セミナーでは、ある住民が「当事者である民衆が立ち上がる必要がある」と言いました。私にとって、この言葉がとても印象的でした。

変えたいなら、変わるべきなのは、私達。声を上げていくのも、私達です。

私は、とりわけ、若者にその役目があると思います。だって、この社会を作り上げたのは大人達かもしれないけれど、これから生きていくのは、私達若者だから。

大人達が当たり前のように私達に刷り込んできた価値観を、一つ一つ考え直さなければいけない時が来たのだと思います。

「私達の時はこうだった」「これが伝統・常識だ」なんて言う大人はどこにでもいるけれど、従う必要はないと思います。そうやっていつまでも過去を押し付けるような人は、美化された思い出に浸り続けて、自分のやり方の欠点を見認めたくないとか、見たくないものから目を背けたいというだけではないでしょうか。

疑問なんて抱かない方が、楽なのかもしれません。既に確立されてきた考え方や手法に倣うのが、要領のよい生き方かもしれません。

でも、そうやってみんなと同じようにしていったとしても、いざ立ち行かなくなったとき、みんなが助け合える確証はないと思います。

「自分の身近な所にのみ気を付けていれば、自分が生きている間くらいは逃げ切れるだろう」と目論んでいるような今の社会を見る限りだと、ピンチが訪れた途端みんなが団結し合う、なんて都合のいいことは起こらないと思います。

大事なのは、一人一人が自分の意志を持ち、それぞれの立場で声を上げ行動することだと思います。

「知識が無いから分からない。だから意見を言っても、批判されてしまうかもしれない」

そんな恐怖も感じるかもしれません。

でも、この文脈で使われる知識という言葉は、「教科書や先生から習うような、西洋的な、すでに確立された理論や概念」という意味ではないでしょうか。

自分の見聞きしたことや経験、確証のない気持ちや感覚などから生まれる意志や意見にだって、価値はあるはずです。

自分一人だけで何かを変えることは難しいと思います。でも、例えごく少人数だとしても、声を上げ行動に移す人がいるという事それ自体に、大きな意味があると思います。

今回のセミナーの聴講者は、自分と同じくらいの歳の人がほとんどいなかったのが残念でした。もっとこういうところで、自分と同じくらいの歳の人や学生と出会い、話をしたいなと思います。

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